『龍野市の見どころ』
正垣 直哉
【(株)サンコム】
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今回は、閑静な町のたたずまいから「播磨の小京都」とよばれている「龍野」を紹介させていただきます。
「龍野市」は兵庫県西南部に位置し、三方を山に囲まれ、揖保川が市の中央を流れる山紫水明のまちです。
この「龍野」という地名は、相撲の祖の野見宿禰(のみのすくね)が出雲へ帰る途中にここで病死し、
多くの人が揖保川から石を運び、墓を立てた姿、「野に立つ人」から「立野」と呼ばれた・・・そんな由来があります。 脇坂家5万3000石の城下町として栄え、現在でも白壁土蔵の古い民家が残っています。 | ||||||
また、三木露風や三木清などの文学者や哲学者を多く輩出しており、遺跡も多く残されています。 龍野市は昭和59年に「童謡の里」宣言を行い、童謡コンクールや童謡祭りなどのイベントを毎年開催し、童謡の里づくりに取り組んでいます。 三木露風がふるさとを想い綴った童謡「赤とんぼ」は、朝、夕、晩の一日3回、白鷺山山頂からメロディが流れ、全市に響きわたります。 初めて来られた方は少し驚くかもしれません。 | ||||||
龍野市の中心を流れる揖保川は、古くから地場産業に大きな影響を与えてきました。 地場産業としては醤油、素麺、皮革等がありますが、特に醤油醸造は約400年もの歴史があります。 現在では全国三大産地の一つとなっています。また、素麺は文化年間(1804~17)以来の歴史があります。 「揖保の糸」といえばみなさんご存知かと思います。皮革産業は鎌倉時代からの伝統があり、 衣料・靴・運動具などの良質の革製品として有名で、全国の生産高の約35%を占めています。 | ||||||
県指定文化財となっている『うすくち龍野醤油 資料館』には、昭和初期まで蔵人が実際に使っていた
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歴史文化資料館では、龍野市だけでなく揖保川流域の原始時代からの近世までの文化資料、 文化財が保存公開されており、いろんな角度から龍野の歴史を楽しみながら知ることができます。 私が訪れたとき(2002年10月)には「日本の名刀と播磨の刀」という特別展示がありました。 特別展の開催スケジュールは、龍野市のホームページでも紹介されていますので来られる際にはチェックしてみて下さい。 (http://www.city.tatsuno.hyogo.jp/) | ||||||
龍野城は、山城と平山城の二期に分かれています。山城は約500年前に赤松村秀によって築かれ、 赤松氏が4代続いたのちに豊臣秀吉に城をあけわたし、鶏籠(けいろう)山麓にある平山城は脇坂安政が信州より移り再建したものです。 龍野城は別名「霞城」ともよばれています。本丸御殿、白亜の白壁、多門櫓、埋門、隅櫓が復元されています。 | ||||||
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こじんまりとしていますので城単体では少し物足りなさを感じられるかもしれませんが、 城周辺の町並みとバランスがとれており、城下町の雰囲気を満喫することができます。 | ||||||
次に聚遠亭(しゅうえんてい)ですが、この茶室は安政年間に龍野藩主であった脇坂安宅公が京都御所の職にあった際に御所が炎上し、 その復興に功績があったので孝明天皇から茶室を賜り、心字池上に浮堂として移築したものと伝えられています。 庭園、池、杉垣と調和した書院造りを模した数寄屋風の建築物です。この隣の茶室では実際に茶をたてていただくことができますので、 庭園を眺めながらのお茶はまた格別です。 | ||||||
聚遠亭からの赤とんぼ歌碑に通じる桜道は「文学の小径」といわれています。 ここは桜の名所であり、シーズン中には3千本の桜が花を咲かせ、毎年多くの観光客や地元の人でにぎわいます。 また、白鷺山の南斜面には三木清の哲学碑があり、この道は「哲学の小径」といわれています。 国民宿舎「赤とんぼ荘」のパーキングから展望台にかけての道、「童謡の小径」には、感知装置の付いたメロディの流れる童謡歌碑が設置されています。 | ||||||
この他にも見どころは満載なのですが、すべてをこちらで紹介できないのが残念です。 あとは、実際に「龍野」へ遊びにきていただいてからのお楽しみということで・・・。 きっと、龍野を気に入っていただけると思います。 | ||||||
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