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白日夢

加藤コンサルタント 中塚善久

この物置は、かなりの大きさがあり、 我家の年末の大掃除のたび毎にその時にあまり必要としなくなった物を無作為に家族が放り込んでいくので誰もが管理する気もなく雑然となっており、扉を開いたとたん自分の行動を「なんと無謀な事」と反省させるのに十分な状態でした。
 朝11時頃から始め昼食をはさみ、ようやく内容物を一通り搬出し終り一つ一つの物を吟味していると大きな青いビニールシートにくるまれた物が出て来た。
 何かと開いてみるとそれは、ゴムのバンドで一まとめにされた釣竿だった。
 この一瞬に私の思考は、物置の整理という目的からかけ離れてしまった。「そうそう、この釣竿をここに入れたのは、・・・。」

 私が、釣を始めたのは小学校の高学年、たしか、近所の子に近くの溜池に鮒を釣りにつれて行ってもらったのが始まりだったような気がする。それからというもの中学校、高校と休日毎に釣三昧。
 年齢が上っていくと同時に釣りの行動範囲は、近所の池、河川から、海岸、防波堤、瀬戸内海の離島磯へと拡がり、道具は、竹の継竿、グラスロッド竿、カーボン竿へと高級化していき、リールも投げ釣り用船釣用、磯釣用と多種多用に購入、今思うと何を考えていたのやら?大学時代は、京都に下宿していた経緯もあり、釣りからは距離をおいていた。
 しかし、就職した職場に釣りを趣味とする先輩の誘いに応じる形で何度か遠出をしたような気がする。
 しかし、少年期のように心浮き浮きと釣りをしたような記憶がない。そういえば、働きだした頃、まだ週休2日制でなく土曜日は半休だった。
 土曜日の夜自室で「明朝釣りに行くぞ」と心に決め仕掛を作り、用意万端にして就寝するものの翌朝目ざめると何となく行く気にならずそのまま放置することが続き私の釣り癖は、閉じられたようである。それからかれこれ20数年、思わぬ形で釣りと再会することができた。
 私もはや人生の半ばをむかえる頃になり会社をやめた後「何をしようか?」と漠然と考えるようになっている。
 その一つの選択肢のなかに釣りも入れておこう。中国の諺のなかに確か「一日を楽しみたければ、豚の料理を作りなさい。三日楽しみたければ、結婚しなさい。一生を楽しみたければ、釣りをしなさい。」というのがあったような気がする。
 間違いなら御免なさい。

 出てきた釣り竿を一本一本吟味しながらこの様な事を考えていたため物置の整理の時間がなくなり、また物置は、雑然としたまま扉は閉じられた。何をしていた事やら。
 しかし、釣り竿は、出てきたもののその他の道具はいったい何処へいったものやら、自分の整理整頓の悪さもあらためて自覚させられた一日でした。
 乱筆乱文を御容赦ください。