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「丹波路を辿りながら」


株式会社 ユニオンリサーチ
白井 俊一

 休みの日で天気が良かったりすると、単車に乗って一人や複数人で出掛けたりすることを楽しみの一つとしている。

 また一人で出掛ける時は『地理のお勉強・・・』と思って、なるべく高速道路は使わず、一般道を多用することで、実は高速道路の通行料金を節約し、嫁さんに喜ばれるように努力(?)している。
 なかでも大阪北部から兵庫県の中部へ至る国道や、主要な県道(本稿ではこれらを「丹波路」と称する)などは比較的よく整備されている割に交通量が少なく、のどかな田園風景の中をゆったり走れることが多いのでよく利用する。さらに休憩や食事には牛肉や栗,山菜,松茸など美味いものが豊富にあって、大好きなコースの一つである。(ただしマツタケは見るだけ!)

 とはいえ、丹波地方を通る道やそれによるルートの組み合わせは無数にあって、しかしながら自分の使うルートはだいたい決まっており、まずは大阪市内出発して川西市内を抜け、「国道173号」を北上する。
 この国道は大阪府池田市を起点とし、京都府綾部市まで至るもので、中でもこの区間は、自分が利用する丹波路のなかでは唯一の山道である。
 右へ左へと続くカーブを楽しみながら、一庫ダムを横目に見、途中で「道の駅 くりの郷」に少し寄って、やがて国道は「安田西」の交差点に至って「国道372号」と合流する。(ちなみに、この合流地点にあるローソンには、日曜日になると多数の単車乗りが休憩しており、様々な国籍やメーカーの単車が集まった展覧会のような状況になる。)

 2つの国道が合流した道を300mほど走ったのち、「小野新」の交差点からは「国道372号」を西へ走る。
 単調な、いわゆる田舎の風景が続くこの国道ではあるが、かつて阪神・淡路大震災が発生し、国道2号や阪神高速道路,中国自動車道が被災したことで東西方面の主要交通路が分断された際、それらの道路の代替機能を担ったと聞く。このことから兵庫県においてはこの国道を地域防災計画及び緊急輸送道路ネットワーク計画の路線として位置づけて整備を行っているとのことである。
 そういえば「国道372号」や、もっと南側に位置する「県道17号 西脇三田線」関係の物件調査に携わったことなどを思い出す。さらには震災の当時、大阪の自宅を朝出発して、勤め先があった神戸市の元町に到着したのは午後3時すぎであったことなどにも思いを馳せる。

  そんなことを思っているうち、単車はやがて波賀野の交差点に至り、ここを右折して「国道176号」を北上し、「丹波地域」を抜けて「但馬地域」に入ってゆく。
 京都府宮津市を起点とし、終点の大阪市北区の「梅田新道交差点」まで至る、なかなか長いこの国道において、この辺りは篠山や丹波市柏原といった、風情のある城下町としての景観が残っている。
 そしてなんと云ってもここは但馬牛の本場である。かつて事業損失でヒアリングを行った繁殖農家からは、子牛が体調を崩したとき、牛舎で一晩付きっ切りで看病するなどして一頭・一頭を大切に育てていると教えて頂いた。

 国道はやがて「稲継交差点」に到達し、単車はそのまま直進して氷上インターから「北近畿豊岡自動車道」に入る。

 実はここから高規格道路、あるいは一般にいうところの『高速道路の無料区間』を使って青垣まで行き、そこから「国道427号」を南下して西脇に至る予定である。
 「国道427号」のその区間は、沿道に数十メートルはあろうかと思われる高木が茂る森の中を抜ける道で、ゆったりとしたカーブと長い直線が西脇の市街地まで続いており、途中で山荘のような「道の駅 R427かみ」や、あづまやを設けた待避所などが配された癒し系の道である。「国道427号」は「曽我井バイパス」の整備のための物件調査を行った場所を横目に見ながら走るルートでもある。

 話を少し戻す。ルートは氷上から『高速道路の無料区間』を辿っているのであるが、高速道路など単調な道を走っていると、少し考え事をしたりする。
 そういえば、大工を父に持つ家に生まれ、兄もゼネコンに勤めている家族に育ったこともあって、自分の就職先として、当然のように一級建築士事務所を選んだものだった。
 しかしながらご承知のように、我々補償コンサルタントが関わった建物は曳家や移築されたものを除き、ほとんど現存しなくなる、というより解体される運命である。
 父や兄と自動車に同乗していると、自分が建てた、あるいは関わった建物の自慢(というよりホントは単なる思い出話)を語ることがある。そんな時、『自分には自慢する建物はないなぁ。話といっても、せいぜい会計検査でエライ目にあったことぐらいか。』と考えることが常である。

 でもこうやって、整備された道路を走っていると、補償コンサルタントに所属してウン十年、色んな人や企業の状況について、それを再現する方法を自分なりに考えてきたことが思い返される。それは人に自慢するような性質のものではないが、しかし何より、自分が関わった土地の跡には整備された道路ができ、立派な河川の護岸が完成するのであるから、その現場を見て「これはこれでエエもんやな。」と思う。
 そんな日はこの走りやすい道路をもう少し走りたくなり、予定を変更し、奮発して有料の「遠阪トンネル」を通って、少し遠くまで行こうかなと思うのである。