『色あせない「オリンピック」、色あせない「ビートルズ」』~『金』色の輝き~
内外エンジニアリング 株式会社
岡本 信也
~はじめに~
いよいよ、来年、2020年に迫った「東京オリンピック」。
明治神宮外苑に、東京1964大会のオリンピックスタジアムが、新国立競技場として生まれ変わるとのことです。
56年という長い歳月を経て、東京に戻ってきたオリンピック。私が生まれる8年前、1964年当時は、国立競技場の建設、首都高の整備、新幹線の開通など、日本の公共事業も大隆盛だったと聞いております。
2020年の東京でも、今のスポーツシーンを彩るヒーロー達が、大いに躍動されることでしょう。そして、オリンピックにおける選手の活躍や記録は、まぶしい『金』メダルと共に、色あせることなく、いつまでも輝くことでしょう
スポーツだけで無く、様々なジャンルに、それぞれの時代で輝かしい記録はあるものです。
こじつけますが、その頃のミュージックシーンでは、その当時までだけにとどまらず、現在に至っても、色あせることのない、輝かしい記憶と記録、不滅の『金』字塔を残したアーティストが出現しました。
世界の音楽市場で最も成功したと言われる『ザ・ビートルズ』です。東京オリンピックと時を同じくして、1964年、イギリスからアメリカに進出、大躍進を始めていました。私はビートルズが好きです。そのビートルズについて、想像や諸説等もあり、甚だ恐縮ではございますが、私が知り得る、『金』メダルよりも『まぶしい』かもしれない話を述べさせていただこうと思います。
~1964年のビートルズ~
レコード会社の営業戦略(売上げ、『金』の確保)からか、解散してから約50年も過ぎた今でも、年末あたりになるとビートルズの音源が再発されています。昨年は『ザ・ビートルズ(通称:ホワイトアルバム)』、一昨年は『サージェント・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がデジタルリミックスされて発売されました。その前には公式盤のライブアルバムが初めてCD化されました。アナログのレコード盤だけでもモノラル録音とステレオ録音、CDにおいても当初版からデジタルリミックス盤、企画盤等、ファンにとっては嬉しいやら悲しいやら、世界一コレクター泣かせ、『金』を使わせるバンド、アーティストであることは間違いありません。「ビートルズ」と名が付いて発売されれば、必ずソコソコは売れるのでしょう(笑)。
イギリスでメジャーデビュー(1962年)を果たした『ザ・ビートルズ』、1964年にアメリカに進出。一時はビルボードチャートのシングル部門で、1位から5位を独占、アルバムチャートにおいても、『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!』(ア・ハード・デイズ・ナイト)が7月25日付けで1位になり、21週間連続で1位となりました。東京オリンピック開催中もチャート1位を独走していたということですね。
~Lennon-McCartney~
そんな『ザ・ビートルズ』。どこに魅力があるのでしょう。ビジュアルにも素晴らしいモノがあります。デビュー前は、ライブハウスでロカビリーを演奏していたことから、革ジャンに革パン、髪型はリーゼント。それはそれでカッコイイですが、デビュー当時のスーツ姿が今でもビートルズのコスチュームでは定番な印象だと思います。
また、ステージにおいてはへフナ-のバイオリン型ベースギターを弾くポールマッカートニーが左利きであったことから、リッケンバッカーのギターを弾く右利きのジョンレノンと一つのマイクスタンドを使って唄うときに、それぞれのギターネックが左右「V」の字になるのも、私には格好良く見えました。
しかし、なんと言っても、楽曲が良くなければ、ここまで有名なバンドにはならなかったでしょう。
ご存じの方も多いと思いますが、ビートルズの楽曲における有名どころの殆どは、『Lennon-McCartney』 、「ジョンレノンとポールマッカートニー」のクレジット(作詞・作曲)になっています。
私の記憶するところですが、学生の時に使用していた音楽の教科書(だったと思うのですが)に名曲『イエスタデイ』が掲載されており「作詞がレノン、作曲がマッカートニー」なんてことが書かれてありました。「それは違う!」と思った記憶があります。
ビートルズにおける、どの名曲も素晴らしい楽曲なので、それに拘らなくて良い気もしますが、私としては、ファンとしてハッキリさせたい、という想いがあったので、『Lennon-McCartney』について、当時から現在までに色々と詳しく調べました。
~ビートルズ時代の名曲は『マッカートニー』、ソロワークの名曲は『レノン』~
ここからは、愛称(ジョンレノンをジョン、ポールマッカートニーをポール)で表記します。
ビートルズは少し不思議なグループで、明確なリーダーが居ません。メジャー活動は1962年から1970年で、その初期から中期は、ジョンがリーダー格の存在と言われていました。後期(特に1968年頃から録音が始まったアルバム『レットイットビー』以降)は、事実上、メンバーを困惑させながらも、ポールがリーダーシップを取っていました。結局、リーダーを特定しない、これが解散を早めた様に思いますが、個々の才能を爆発させるには、得策だったのかもしれません。
イギリスでのデビュー曲『ラブミードゥ』(これはポールの曲)は、当初あまりヒットせず、セカンドシングルでジョンが主体で作成した『プリーズプリーズミー』がヒット、これ以降の初期は圧倒的にジョンレノンが作成した曲の方が多く、ジョンがメインボーカルの曲が多数で、このことからも、デビュー当時はジョンがリーダー格だったことが確認できます。
しかし、その後、キャッチーなメロディー作成が得意なポールが台頭してきます。歴史的な名曲『イエスタデイ』は1965年のアルバム『HELP!』に収録されており、ビートルズの一番の代表曲かも知れません。この曲、クレジットは『Lennon-McCartney』ですが、『ポールマッカートニー』単独で作詞・作曲されたことで間違いないと言われています。ポールが朝目覚めてすぐに思いついたメロディーと言われるこの曲、メインボーカルは、もちろん、ポール。意外なことにビートルズの特長であるハーモニー、他のメンバーのコーラスがありません。1966年の日本公演ではビートルズ(4人)のバンドで演奏されていますが、当時のアメリカで放送された「エドサリバンショー」の映像で確認されるのは、ポール一人が『イエスタデイ』をギターで弾き語りする姿です。ちなみにビートルズは1964年も「エドサリバンショー」に出演しています。その放送時間中、当時は犯罪が絶えない筈のニューヨークで犯罪がなかった、と言うエピソードが残っています。
一方、その後のジョンはビートルズ時代に『愛こそはすべて』という名曲を生み出しており、この曲は1968年に全世界同時生中継(新曲発表)で公開されました。6/8拍子の歌い出しなんかは、何ともユニークなジョンレノンらしい曲調です。
ただ、どちらかというとジョンは『イマジン』、『スターティングオーバー』、『ウーマン』、『ハッピークリスマス(ウォーイズオーバー)』など、世界平和を唱え宗教的な思想が強くなり、賛否ある活動でしたが、間違いなく、ビートルズ時代よりソロ活動時の方が曲としては有名なものが多いと言えるのではないでしょうか。
ビートルズはアルバム『レットイットビー』で終焉を迎えます。正確にはアルバム『アビーロード』がビートルズとしては最後の録音と言われていますが、4人一同が会して録音したという意味では『レットイットビー』が最後でしょうか。アルバムタイトルとなった曲『レットイットビー』。ゲットバックセッションと呼ばれた録音は、『多重録音をしない』、『ライブ感覚』のアルバム作成が目的でした。この『レットイットビー』という曲も同様で、ライブ録音の様に録音されることから、メンバーが担当できる楽器は、『1つ』。ここで注目されるのは、ドラム(リンゴ)、ギター(ジョージ)は定位置、ピアノをポールが弾いています。多重録音であれば、本来担当するベースギターをポールが弾く可能性はありましたが、既述のとおり担当できる楽器は『1つ』、一人で2つの楽器を演奏するなんて、まず無理ですから、自ずとジョンが弾いています。これがまた味なベースの音色を奏でておりまして、当時の映像記録では、時折ふざけた表情をしながらも、真面目にコーラスまでしています。結局、発売された音源は、ストリングスが入っていたり、リンゴのタムドラム、エレキギターがオーバーダビングされ、当初の『多重録音をしない』、『ライブ感覚』という目的とは違うものになっています。
~おわりに~
ビートルズという枠で、二人のライバルが凌ぎを削った結果、数々の名曲が生み出されたのだと思います。先に断っておきますが、私はジョンとポール、どちらも好きですが、どちらの曲調が好きかと問われたとしたなら、ポールです。私の持論、想像なのですが、ポールがジョンをライバルとして意識する余り、また無意識の内に、名曲を生み出した、と考えています。その理由として、ポールのソロ活動における曲に、ビートルズ時代の代表曲を超えるような楽曲、また、名曲・代表曲というハードルを低くしたとしても、ポールのソロワークで代表曲は何?と問われたとしても、私にはすぐに思いつかないからです。『Lennon-McCartney』の相互関係が成し得たということから、作詞作曲のクレジットは『Lennon-McCartney』で正解・・・おそらく、ジョンとポールは成り行きでそうしただけでしょうが・・・。
特にオリンピックと関係ないと思われる、ビートルズについて、色々こじつけて持論を展開し、紙面を荒らして申し訳ありません。そういえば、2012年ロンドンオリンピック開会式では、ポールマッカートニーが『ヘイ・ジュード』を唄ってましたね。
最後に一つ、私の親戚で10歳ほど年上の叔父さんが言っていた、色あせない『まぶしい』エピソードを思い出しました。
ポールマッカートニーがビートルズを脱退(解散)した後の約15年間の収入、オリンピックを1回開催できてしまう『金』だそうです。
以上